2026.07.23

北海道便り(7)

maru 研究室だより

 本学科教員のS・Kが、北のどこかの大学にいるK・Sのもとで、2026年4月から7月まで、食を育むことばの研究をする。その忘備録の一部をお送りする。最終回である。
 本日は、K・Sがわざわざ1時間近くの講演会を開いてくれた。聴講するのは、この便りにも登場したテキスト解析に取り組んできた学生である。解析するテキスト以前の、文字や表記行動、計量言語学について話した。そう話しているのだが、肝心の話題は、話すのではなく書くこと、それを読むことはどういうことか、文字っぽさはどこから来るかについて、現時点でこうだろう、と思うことを話した。大学150周年のロゴ(下図)を見せて、数字と文字と記号と絵と、どれに当てはまりそうか尋ねたりもした。長話にお付き合いいただいた北の大学生に感謝する。(本文末尾の画像は、講演で使わなかったが、いずれも道内で採取した文字・表記の例である。)そして最後になったけれど、
北海道大学150周年、おめでとうございます。

 さて、文学館の「美味しい」データは、8月20,21日開催の言語資源ワークショップ2026で発表することになった。お時間があれば、参加費無料、どうぞお申込みください。→https://clrd.ninjal.ac.jp/lrw2026.html
 言語資源のなかには、当該言語の全体像を捉えるコーパスの代表として「現代日本語書き言葉均衡コーパス」がある。今回、K・Sと作成したデータベースは、道立文学館学芸員が「美味しい」と選定している。言語資源として残すことで、文学のプロが選ぶ表現と、文学全般の表現を比較することが可能になる。文学における「美味しい」はどこから来るのか、この回答はワークショップで発表する。
 文字におけるやり取りも、美味しいと感じることも、日常的なことで、研究の対象なのか、と思う人がいるかもしれない。しかし、日本独自の食、後継者の少ない産業となってくると、どうだろう。記録には言葉、そして、文字が必要だ。画像や音声によるアーカイブは、定期的に記録メディアを交換する。永続性は低い。今を生きるわたしたちが継承するものは、ひとまず文字にしておこうよ、と思う。言語化しにくい「美味しい」も、消えてしまうのは嫌だ。どのように美味しいのか、言えたほうがいいよ、と思う。「食を育むことば」の始まりは、そんなことを思う食いしん坊が、山間部で紅茶を作るトマト農家の話を聞いたのが始まりである。その農家は、トマトが本業で、お茶農家が継続できず放置した畑を借り受けて地紅茶を生産している。これは、やはり文字で残しておこうと思った。(了)

   
   

居酒屋の看板の側面に脅迫文?「ぞ」が効果的。「素通りは許しませんぞ ぎんねこ」(「ぎんねこ」は店名)
「頭上」と書いて「あたまのうえに」と読ませる。
獰猛そうな、はく製のホッキョクグマの足元にある。対象が違うように感じられるが、プレートに触れないで、ということではないだろう。
「自分だけ楽しよう(中略)二度手間になります」つまり、「健常者は駐車禁止」だが、上段太字の出口案内よりも、この中段細字の嫌味が駐車を忌避させるのだろうか。下段赤字は読み手が変わる。