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担当教科 | 近代文学概論、近代文学研究、児童文学論など |
専門領域 | 日本近現代文学 |
所属学会 | 日本近代文学会、昭和文学会、日本文学協会など |
経歴 | 東洋大学大学院文学研究科国文学専攻博士後期課程単位取得満期退学
東洋大学大学院文学研究科 日本学術振興会特別研究員(PD)
総合研究大学院大学 博士(文学) |
主な業績 | 著書 ・〈異郷〉としての大連・上海・台北(共著、勉誠出版、2015年) ・両大戦間の日仏文化交流(共著、ゆまに書房、2015年) ・満洲のモダニズム(単著、ゆまに書房、2013年) ・美術と詩Ⅰ(単著、ゆまに書房、2012年) ・満鉄と日仏文化交流誌「フランス・ジャポン」(共著、ゆまに書房、2012年) ・短詩運動(単著、ゆまに書房、2009年)
論文 ・記憶の海を越えて―清岡卓行「アカシヤの大連」における詩と小説(『現代詩手帖』2020年5月 『現代詩手帖』) ・彷徨する詩―東アジアと日本のモダニズム(『現代詩手帖』2019年8月) ・散文の時代の詩的精神―芥川龍之介の「の」を読む(『日本文学』2019年2月) ・萩原恭次郎・岡田龍夫『死刑宣告』論―関東大震災後の詩的言語とリノカットをめぐって(『日本近代文学』2015年5月) ・アヴァンギャルドの地政学―日本の前衛詩運動と植民地空間(『東洋通信』2014年10月)
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担当する授業の内容・魅力 | 秋の夜は、はるかの彼方に、 小石ばかりの、河原があつて、 それに陽は、さらさらと さらさらと射してゐるのでありました。
中原中也の「一つのメルヘン」(『在りし日の歌』創元社、1938年)という詩は、全部で三連に分かれています。これはその一連目ですが、妙なことに気がつきませんか。ヒントはオノマトペ。中也のオノマトペといえば、「サーカス」という詩の「ゆあーん ゆよーん ゆやよん」が有名ですが、この詩ではどのようなはたらきをしているでしょうか。そしてそのどこが「メルヘン」なのでしょう。答えは詩の全文を読まなければわかりません。詩はことばそのものの意味だけではなく、語順や句読法、行分けや配列などの構造全体で意味を作り上げています。だから詩は、省略も要約もできません。 授業では、詩だけでなく、たとえば正岡子規の俳句や北原白秋の短歌、芥川龍之介や梶井基次郎の小説などを取り上げ、文学のことばの原理、機能、形態、構造を考察しながら精読します。また、作品を取り巻く文化的背景や歴史的経緯を理解し、主題を探究しながら、表現や思想の意義について考えを深めます。そして、作品の読解をとおして、文学作品を「読む」とはどのような行為か、問いをくり返し、研究の視点や方法を模索します。 詩や小説に夢中になるのは楽しいことです。想像力をはたらかせ、豊かな表現に親しむ経験は、何度くり返しても飽きることがありません。一方で、そのことと、文学のことばがもたらすよろこびや不安はどこからくるのか、それはわたしたちの生や心にどのような関わりがあるのか、と考えることとは違います。文学のことばのなりたちやしくみについて考え、はたらきを解き明かすことは、生き生きとしたことばから身をひきはがして水をかけるような、冷ややかなおこないのようにも感じられます。けれども、授業ではそのどちらも深く味わってほしいと思っています。感性に根をはった表現を客観的にとらえなおし、論理的に突きつめてゆくことは、時にさびしく、くるしい作業ですが、その向こう側ではじめて見ることのできる風景があります。 自分を取り巻く状況や感情を見つめ、思考することの自由を、文学のことばそのものだけでなく、それを読み、他者に伝え、後世に残すためのことばを、そのいとなみの中から受け取ることができます。それはきっと、いまここにはない何かや、まだ出会っていない誰かへとつながっているはずです。
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研究の魅力 | 日本の近現代詩の研究は、さまざまなことばを読み解く作業の連続です。残された資料を掘り起し、生成や移動の過程を調べ、歴史的経緯や時代状況を考慮しながら、表現の様式や方法、参照される体系を明らかにしていきます。その上で、他の資料ともつきあわせながら、ひとつひとつのことばとその全体に意味をあてがい、その理解が適当かくり返し検討を重ねます。
てふてふが一匹韃靼海峡を渡つて行つた
これは安西冬衛の「春」という詩です。この詩を読むために、まずは詩の形態や構造に目を向けてみます。たとえば「てふてふ」(蝶々)や「韃靼海峡」といった詩語は、表記や音韻の特徴から味わうことができます。そうすると、今度はこの詩が持っている視覚的な喚起力や、短い詩形をともなった独特のリズムに気がつきます。背景を探ってみると、モダニズムと呼ばれる芸術様式が関わっているらしいこと、和歌や俳句など日本の伝統的な文学形式をふまえているらしいことなどがわかってきます。意味に近づこうと思うと、たとえば「てふてふ」に注釈が欲しくなります。ことばにはこれまでに使われてきた膨大な歴史があり、その理解が意味の読み取りに関わるからです。あるいは、詩人の傾向やメディアの文脈が気になるかもしれません。草稿や書き入れ本をたずね、古地図や公文書をひろげ、戦前の雑誌や新聞が積み上がる頃になると、この詩のものの見方や感じ方は、わたしたちのことばに何をもたらしたのだろうか、というようなことを考えはじめます。 ふるい詩に限らず、詩を読むことには時間がかかります。端的に一義的な意味を伝達するようにはできていないからです。途方もない時間を費やしてなお、ついに読み解けないということも少なくありません。効率や生産性が重視される現代の社会で、そのふるまいはしばしば不可解なものとみなされます。それでも、ひとたび詩を見かけてしまえば読まないわけにはいきません。わかりやすく整ったことばでは表現できないものがあると、それらの姿が語りかけているように思うからです。 詩を読むことは過去との対話のようです。ひるがえって、わかったことを今のことばやそれを取り巻く状況の限りの中で論文にまとめる作業は、未来に向けて手紙を書いているかのようです。その作業に没頭している間は、多くの制約があるはずなのに、どうしてか、自由だなあと思います。詩は多彩で豊かなものですが、時には、外部からの強い力に圧迫され、屈曲を余儀なくされた姿の痛ましさに息をのむこともあります。そしていつも、状況に誠実に向き合うことから生まれたそのユニークな姿を、誰かに伝えたくなるのです。 (不運にも学内で詩集を手にぶつぶつ言いながら歩いているわたしに出くわしたら、最低でも三時間は覚悟してから声をかけるようにしましょう)。
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紹介したい一冊 |
作家の井上ひさしは、「忘れられない本」(『朝日新聞』1977年10月10日)というエッセイの中で、国民学校六年生のときに、「生まれてはじめて、雑誌ではなく単行本を、それも自分自身の判断で、しかも貯めておいた自分の小遣いで買った」ことを書いています。その本が宮沢賢治の『どんぐりと山猫』でした。井上は読後感をこう綴っています。
——————— わたしたちは日課のように裏山へ出かけて行き、枝を渡る風の音や、草のそよぐ音や、滝の音を頭のどこかで聞きながら遊んでいた。しかし、それまでわたしたちは、風が「どう」という音で吹き、(中略)きのこが「どつてこどつてこ」と生え並び、どんぐりのびっしりとなっているさまを音にすれば、それは塩がはぜるときの「パチパチ」と共通だ、とは知らなかった。 加えてわたしたちは、秋の、晴れた日の山のすがたを〈なんともいえずいいものだ、とても気分がいいものだ〉とは思っていたが、その気分を「まはりの山は、みんなたつた今できたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青な空の下にならんでゐました」と、しっかりとコトバでとらえられるとは思っていなかった。〈なんともいえずいいもの〉だからなんともいえない、つまりはコトバではつかまえられないのだ、と考えていた。 ———————
井上は「わたしたちがなんといっていいかわからなかったものに、ちゃんとコトバを与えている人がいる」という事実に「ぼうぜん」とします。そしてその時の体験を、「彼はこの方法で、周囲の自然をどう名付けてよいのか――つまりどう認識すべきか――わからないでいた山間(やまあい)の小さな町の子どもに、自然との関係のつけ方をたくみに教えてくれたようにおもう」と書き留めています。 宮沢賢治のことばが持っているこの不思議な力について、詩人の草野心平は、「古来詩人の名誉の一つは対象にいのちを与へる最後の言葉を最初に発見することであらう。(中略)それは感性と叡智との共同作業によつてのみ成し遂げられる。そのやうな行き方で宮沢賢治は数多くの言葉を発見した」(「「春と修羅」に於ける雲」『宮沢賢治研究』十字屋書店、1939年)と説明しています。 一冊の書物をとおして、井上ひさしのような体験ができたらすてきだと思います。そして、その体験の先で、たとえば草野心平のように、そのことばを支える原理や方法――つまり、詩のことばの秘密を解き明かすことができたら最高だと思います。「作品は書かれるだけでなく、読まれることによってはじめて成立する」。これは、『新編宮沢賢治詩集』(新潮社、1991年)の解説の一節です。宮沢賢治の詩を集めた手に取りやすい文庫本はいくつかあり、それぞれ異なる美点があるのですが、最初は新潮文庫版を推したいと思います。宮沢賢治研究でも知られる詩人・天沢退二郎による精選と、読み応えのある注解・解説は、詩のことばのさらなる探究へ分け入るための水先案内人にもなってくれます。
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