2025.04.17

vol.8 武庫女の蔦屋重三郎(羽生紀子)

maru 古典部リレーエッセイ

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武庫女日文古典部 リレーエッセイ vol.8(2025年4月)
武庫女の蔦屋重三郎

羽生はにゅう 紀子のりこ

先日、蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろう蔦重つたじゅう、1750-1797)に会った。――もちろん生身なまみの本人に、ではない。蔦重が手掛けた版本(印刷本)に、である。

武庫川女子大学附属図書館には、それなりに多くの版本が所蔵されている。重要文化財などといった意味での貴重なものはないが、上方狂歌かみがたきょうかや百人一首のコレクションがあるし、井原西鶴の浮世草子も複数ある。「お宝」という意味では、西鶴の『日本永代蔵』の初版本(1688年刊)がそれに当たるだろう。ただ、江戸時代の出版文化を研究対象としている私にとっては、貴重なものよりは、むしろ「普通の人」が手に取った本の方が好もしい。そんな目でみれば、附属図書館はお宝の山だ。

今年のNHK大河ドラマは「べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜」である。ふと気になって、蔦重本の所蔵を調べてみた。次の8点があった。

(1)『狂言鴬蛙集(故混馬鹿集)』1785年刊
(2)『狂歌天の川(狂哥天河)』1785年刊
(3)『狂歌才蔵集(才和歌集)』1787年刊
(4)『吉原楊枝』1788年刊
(5)『狂歌初心抄』1790年序
(6)『新古今狂歌集』1794年刊
(7)『狂歌はまのきさご』1800年刊(再版本)
(8)『かはころもの記行』1808年刊

『吉原楊枝』以外は狂歌関係である。上方狂歌のコレクションがあるから、その収集時に(ついでに)購入されたものだろうと勝手に推察している。蔦重は狂名を「蔦唐丸つたのからまる」と名乗る狂歌師でもあった。江戸時代には、文化人・趣味人として文人サークルに関わり、その中で自己の志向する書物の出版につなげる版元があった。蔦重の狂歌師としての活動も、そのようなものとして位置づけることができる。蔦重と狂歌界との関わりに大きな役割を果たしたのは四方よもの赤良あから(大田南畝なんぽ)で、本学所蔵の蔦重本にも赤良が関係したものが多い。蔦重が出版した版本は300点以上、本学所蔵は8点に過ぎないが、流れ流れて本学に落ち着いた。その来歴を考えるのも楽しいものである。

蔦重が大河ドラマになると知った時、一抹の不安がよぎった。蔦重といえば「吉原」だ。その昔、芸妓から女優となった川上貞奴さだやっこをとりあげた「春の波涛はとう」(1985年NHK大河ドラマ)を家族で観ていた時、その世界の習わしについての業界用語が発せられた。初心うぶな私(※当時、中学生)が何のためらいもなくその意味を問うた途端、両親は挙動不審に陥り、我が家は微妙な雰囲気に包まれた。そんなことが、今年、多くのお茶の間で再現されてしまう。それでいいのか、NHK? …と思ったが、テレビドラマを家族で視聴するという習慣は過去のものだという。部外者のいらぬ心配だ。

案の定、ドラマには吉原や遊女が登場している。十分過ぎるほど大人になった私は、すべてを理解しつつ、楽しんで画面を眺めている。脚本家というものは、あの事実をこんなストーリーに仕立てるのか、と感心することも多い。何よりも、本づくりの世界がしっかりと描かれていることがうれしい。上方の出版界は「本屋仲間」の単層構造であるのに対して、江戸は「書物問屋」に加えて「地本問屋」が結成されており、二重構造であるという違いがある。蔦重が営んだ耕書堂は地本問屋であった。書物問屋や地本問屋との関わりが描かれ、上方の版元も登場した。版本制作の場面もあり、映像化された本づくりの世界に心が躍る。

蔦重本を手にとると、蔦重やその周辺の人々の息づかいが聞こえてくるかのようである。江戸から、時代的にも地理的にも離れた場所で、私がその本を手にとるという奇縁。研究のおまけの、楽しいひと時である。

【図版】本学附属図書館所蔵『狂歌天の川』の刊記。本書は伝存本が少なく、その意味で貴重。

◇次回は5月下旬公開予定