2024.07.25

vol.4 玉手箱が出てこない浦島太郎(山﨑淳)

maru 古典部リレーエッセイ

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武庫女日文古典部 リレーエッセイ vol.4(2024年7月)
玉手箱が出てこない浦島太郎

山﨑やまざき じゅん

多くの物語には、必須と言うべきアイテムが登場します。一寸法師の打ち出の小槌こづち、桃太郎のきびだんご、などはその代表格です。

浦島太郎なら「玉手箱」でしょう。これがあるからこそ、「たちまち太郎はおじいさん」(童謡「浦島太郎」)になるのです。『万葉集』(巻第9「水江浦嶋子」)、お伽草子とぎぞうし『浦島太郎』(「お伽草子」は室町時代を中心に江戸時代前半まで作られた物語群)、現代の絵本など、浦島太郎(以下、浦島)の物語は様々な作品で伝わっていますが、急激な老化をもたらすあの箱(呼称は「玉手箱」以外も)は、物語の中で確固たる位置を占めています。

ところが、その王道に異を唱える古典文学があります。お伽草子に分類されている『ふね威徳いとく』という作品です。船(以下、書名以外はこの字)をたたえるため、船にまつわる8つの物語が集められており、その1つが浦島の物語です。これには玉手箱が出てこないのです。

通常の浦島の物語で玉手箱が出てくるのは終盤です。『舟の威徳』の浦島の物語はどうでしょうか。結末は次のようです。現代語訳を挙げます。

浦島を連れてきた女性(龍宮の乙姫様に相当)は、浦島と堅い夫婦の契りを結び、浦島は帰郷などまったく考えませんでした。夢中で遊び、日を過ごしていたのは素晴らしいことです。これも、もっぱら船でなければそうはならなかったでしょう。

なんと故郷に帰ろうとしません。帰らないから玉手箱も登場しません。もちろん、お爺さんにもなりません。『舟の威徳』の浦島の物語はダイジェスト版的なものですが、それでもこれはいかがなものかと言いたくなります。

さらに、次のような疑問も浮かんできます。「浦島の話に船なんか出てきたか?」 現代の私たちが親しんでいる物語では、船は出てこない、あるいは目立ちません。それに浦島の乗り物は、「(子どもから助けた)亀」の認識だと思います。

ここで『舟の威徳』の浦島の物語のあらすじ(結末の前まで)を見てみましょう。親を養うため魚を捕っていた浦島は、海上で美しい女性に出会います。女性はいきなり浦島と夫婦となろうとします。とんでもない展開ですが、浦島も浦島で「いかが(どうかなあ)」とためらいつつも女性に従います。女性が自分の家を見せてあげると誘うと、親のことが気にかかるけれどもすぐ帰れば、などと考え、「小船にさおさして、女の教ゆる方にこぎ行」きます。浦島は女性と楽しく過ごします。

女性のところへ「船」で行くわけです(亀はいません。なお『万葉集』でも亀は登場しません)。実は古典文学の浦島の物語には、同様のものがいくつもあります(前述のお伽草子『浦島太郎』はその一つです)。『舟の威徳』に浦島の物語が入っているのは、船が上記のような役割を持っていたことによると言えます。

そして、主題を「船の讃美」とする『舟の威徳』ならば、推すべきは前掲の結末にあるように、「船が浦島を幸せな世界に導いた」ことなのでしょう。帰ったら何百年もち、親は死んでおり、故郷も変わっていた、そこで玉手箱を開け…終盤の残酷な場面も『舟の威徳』からすれば不要だった、ということになります(この点、先行研究もあります)。

このように、玉手箱が出てこない(亀もいない)浦島の物語が存在しているのです。物語というものは決して不変ではなく、相当フレキシブルだったと言えるでしょう。

私たちの常識に対し、古典文学は揺さぶりをかけてくれます。これはまさに異文化体験でしょう。

urashima

女性(正体は亀)の乗った船が浦島に近づく
(『御伽草子』第21冊(浦嶌太郎)、刊本、
国立国会図書館デジタルコレクション)
【『舟の威徳』ではありません】

◇次回は9月下旬公開予定