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武庫女日文古典部 リレーエッセイ vol.5(2024年9月)
武庫川を渡る旅びと
影山 尚之
武庫川女子大学中央キャンパス構内に万葉集の歌を刻んだ碑が建っています。かなり大きな碑ですが、学生諸君はそんなものに興味がありませんから誰も目にとめません。むしろ「邪魔な石だなあ」と感じている人が多いことでしょう。でもそこに記されているのは案外良い歌なのです。
武庫川の 水脈を早みと
赤駒の 足掻く激ちに 濡れにけるかも (万葉集巻7・1141)
万葉集第7巻、作者不明の歌を収録する巻に位置します。「摂津作」という標題のもと、摂津国のどこかで詠まれた歌が21首並べられるうちの1首です。作者名は知られないものの、男性官人つまり役人であったと考えて間違いありません。なぜなら馬に乗って旅をしているから。奈良時代には官人が公の用務に従って旅をするときに馬の使用が認められました。その人専用の馬ではありません。官道――今でいえば国道――の一定間隔に「駅」が設定され、そこが馬を常に用意していて旅人に提供するのです。旅人は駅ごとに馬を乗り換えて目的地へ向かいました。
武庫川は丹波篠山に源を発し、南流して瀬戸内海に注ぐ川。武庫川女子大学中央キャンパスはその河口付近に立地します。そこより数キロ北を東西に古代の山陽道が走っており、上の歌の作者は山陽道を東から西へ進む際にこの川を渡ったようです。橋は架かっていませんでしたから、流れが比較的緩く浅いところを探して馬に乗ったまま渡るのです。「緩い」とは言っても歌に「水脈を早み」とあるとおり当時の武庫川の流れはかなり早かったようなので、それを渡るなんてとても怖い。誤って馬ごと流されてしまったら命はありません。けれどこの作者はどうにか渡ることができました。向こう岸で衣の裾を確かめると、それはぐっしょり濡れていた。きっと川のなかで赤駒は4本の足を必死に蹴り上げたのでしょう、だからその撥ね上げた水飛沫が馬上の作者の衣服を濡らしてしまったというのです。無事だったんだからいいじゃん――それはそうなのだけれど、無事だと分かったら今度は別のことを思い出すのですよ、人というのは。
我妹子に 触るとはなしに
荒磯回に 我が衣手は 濡れにけるかも (巻12・3164)
「いとしい妻に触れることもできなくて、荒磯のほとりで旅する私の袖が濡れてしまった」、第5句が冒頭の歌と同じであることに気づきますか? 旅先で衣服の一部が濡れると、旅人は故郷の家に残る妻のことをほぼ自動的に思い出すのです。「妻がここに居てくれたら衣を干してくれるのに」と考えたからでしょう。妻が夫のお世話をしなければならないなんて21世紀から見たら時代錯誤ですけれど、妻に対する甘えや親しみをこめつつ、古代の人たちはそういう認識をしていました。「ああ、ここには妻がいないんだ!」「いま、自分は一人で旅をしているんだ!」濡れた衣を前にそんな淋しさや不安がこみあげてくるのですね。
武庫川を渡ると間もなく「葦屋の駅」、作者はきっとそこで妻に手紙を書いたことでしょう。そしてその手紙の中に「武庫川の」歌が添えられたのではないでしょうか。だとしたら名も知られぬ古代の男性が綴った恋の手紙がキャンパス内に刻まれていることになります。
機会があったらぜひ見に来てくださいね。
【構内の万葉集歌碑(影山撮影)】
◇次回は10月中旬公開予定