2024.05.25

vol.2 職業作家の誕生(羽生紀子)

maru 古典部リレーエッセイ

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武庫女日文古典部 リレーエッセイ vol.2(2024年5月)
職業作家の誕生―日本で初めて原稿料をもらった作家は井原西鶴!?―

羽生はにゅう 紀子のりこ

現代、文筆を生業なりわい とする人にとって収入の柱は、「原稿料」と「印税」です(講演などの副収入は除外します)。原稿料は、書籍や雑誌等に掲載された原稿に対して支払われる報酬、印税は、出版物の発行部数あるいは実売部数に応じて支払われる著作権の使用料です。日本では印税は明治期に最初の例がみられますが、原稿料はどうでしょうか。

原稿料が制度として定着したのは大正時代といわれますが、実は江戸時代後期の戯作者げさくしゃ である山東京伝さんとうきょうでん (1761~1816)や曲亭馬琴きょくていばきん(1767~1848)は原稿料を得ていました。寛政3年(1791)刊行の洒落本しゃれぼん3作品の原稿料として、版元の蔦屋重三郎つたやじゅうざぶろうが銀146匁(23万3600円)を京伝に支払っています。馬琴の『南総里見八犬伝』(1814~1842刊)は、1巻1冊あたり4両(40万円)でした。蔦屋は原稿料を支払うことにより、売れっ子作家から独占的に作品の提供を受けようとしていたのです。

さらにそれよりも早く、「原稿料らしきもの」を受け取った形跡のある作家がいました。江戸時代前期の浮世草子作者、井原西鶴(1642~1693)です。『元禄大平記』巻3の2「写本料にてめいわくに候」に次のように描かれます。

池野屋二郎右衛門から「好色浮世躍こうしょくうきよおどり」(6冊)の執筆を依頼された西鶴。前金で銀300匁(48万円)を受け取ると遊びに出かけ、5日間で使い果たしてしまう。原稿を催促する池野屋であるが、なかなか書きあがらない。そして原稿を渡さないままに西鶴は死んでしまった。

面白おかしい創作話なのですが、版元として登場する池野屋は池田屋三郎右衛門という実在の版元がモデルです。西鶴が版元から金銭を受け取っていたのも事実でしょう。

48万円の原稿料を高いとみるか安いとみるかは難しいところですが、現代の原稿料は原稿用紙1枚(400字)あたり、1000円~5000円ぐらいといいます(作家によって違いがあります)。1ヵ月に50枚の原稿を仕上げたとして、月収は5~25万円といったところです。

1作品48万円は、原稿料というよりは謝礼というべきかもしれませんが、作家が作品創作の対価として金銭を得る時代が訪れつつあったということです。現代では、作家の創作活動は商業活動と不可分のものとなっていますが、日本においては、そのような作家のあり方は、江戸時代に始まったものだったのです。西鶴は、作品を出版することを前提に創作活動を行った日本最初の作家でした。そして、作品創作によって報酬を得た最初の作家でもあったのです。

・銀1匁は1600円、金1両は10万円に換算。

【図版】西鶴は原稿料を早々に使い果たしてしまう。

(『元禄大平記』挿絵/立教大学池袋図書館乱歩文庫所蔵本)

◇次回は6月下旬公開予定