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武庫女日文古典部 リレーエッセイ vol.11(2025年9月)
古文ではなぜ「今日」を「けふ」と書く?
佐藤 勝之
私たちが日ごろ使っている仮名(ひらがな、カタカナ)は、発音をほぼそのまま表す〈しるし〉(「表音文字」と言います)になっていますが[注1]、戦前まで(明治時代から第二次大戦後の文字改革まで)は、仮名の表記と発音にはかなりのずれがありました。例えば、「今日は」は仮名では「けふは」と書きました。それは、時代が下って発音が変化したのに、書き方は古い時代のものを残してきたからです。
平安時代の初期(9世紀頃)には「今日」は実際に「ケフ/kefu」[注2]と発音していたと考えられます。その後、発音は「ケウ」>「ケオー」>「キオー」>「キョー」と変化して、室町時代から江戸時代には今のような発音になったのですが、書き方は平安時代のものを〈規範〉として残しました(「歴史的仮名遣い」と言います)。助詞の「は」も平安時代の半ば以降「ワ」と発音してきましたが、これは、助詞という品詞を示すために古い書き方を「現代仮名遣い」に引き継いだということです。
わ行の「を」は、やはり助詞であることを示すために現代でも使いますが、発音は「お」と同じ「オ/o」です。しかし、平安朝では「ウォ/wo」と発音しました。古典を習うと、他に「ゐ」と「ゑ」が登場しますが、それぞれ「ウィ/wi」、「ウェ/we」と発音していました。[注3]
* * *
和歌はもともと〈歌〉であり、昔は朗詠もされたでしょうから、できるなら当時の発音で歌ってみたいものです。(今でも宮中では「歌会始」などで新しい短歌にも節を付けて〈披講〉されます。)例えば、『百人一首』にも採られている伊勢大輔の-
いにしへの 奈良の都の 八重桜 今日九重に 匂ひぬるかな
ですが、往時をしのんで歌うならば-
イニシフェノ ナラノミヤコノ ヤフェザクラ ケフ ココノフェニ ニフォフィヌルカナ
となるでしょう。ぜひ、(カルタ取りの節回しでもいいので)一度この〈昔の音〉で読み上げてみてください。「平安貴族」の気分を味わえるかもしれません。
* 本稿は『中学校 国語1』(学校図書、令和2年発行)の「言葉と生活・言葉と文化-発音と表記 他-」)を参考にしています。
[注1]「表音文字」は「ローマ字」が好例ですので、ここでも発音を示すのに、片仮名とともにローマ字を用います。
[注2]正確には、英語の/f/音のように上の歯で下唇を軽く噛むようなことはなく、上唇と下唇の間に小さな隙間を作って摩擦を起こす/ɸ/音、つまり「ファ フィ フ フェ フォ」であり、この音は語頭で、平安時代から鎌倉・室町時代まで保持されました。例えば、「羽柴秀吉」は「ファシンバ フィンデヨシ」(小さい「ン」の説明は省略)だったと考えられます。
[注3]これで(平仮名に関して)、わ行は(「う/u」との発音の区別が困難な「wu」を除いて)きれいに揃います(すなわち「わ/wa ゐ/wi 〇 ゑ/we を/wo」)。また、や行には平安初期まで「え/e」の発音とは異なる「ye」がありました(「榎の枝」は「e no ye」)が、今日のような平仮名が形作られる前に区別がなくなったため、(「い/i」との発音の区別が難しい「yi」とともに)「五十音図」には文字がありません(すなわち「や/ya 〇 ゆ/yu 〇/ye よ/yo」)。ちなみに、「i/wi」「e/we」を区別して「e/ye」を区別しないということから、四十七音節で出来た「いろは歌」の成立時期が平安中期(10世紀末)以降だと分かるのです。
参考文献
築島 裕『国語学』東京大学出版会,1964年.
野地潤家・新井 満 他『中学校 国語1』学校図書 令和2年(2020年),p.211-212.
◇次回もお楽しみに